ある時は政治の道具となり、
ある時は民衆を救うための資財となったこの安国寺肩衝茶入の有為転変をみると、
安国寺恵瓊の数奇な生涯が投影されているような氣がしてならない。
関が原の役の後、恵瓊の遺品となったこの茶入は徳川家康から津田小平治秀政に渡った。
津田秀政が小山評定の最中、三成の挙兵で家康は機嫌が悪かったために、参加した武将はだれも言葉を発する者がいなかったという。
肩衝の茶入(安国寺茶入)ひとつを私に賜ったら、それで茶会を楽しみましょう。」と申し述べた。すると家康は「それはたやすい望み」と言い機嫌が直ったといわれる。そして秀政は関が原の役の後、茶入を家康から賜った。
ある時、細川三斎が秀政の茶会に招かれ、この茶入に再会した。
寛永三年(1626)細川忠利の代に領内(肥後・熊本県)旱魃に当たり、飢饉を救うため、金一八〇〇枚で庄内(秋田県)藩主酒井忠勝に譲り、これを難民救済の資金とした。
庄内藩では酒井忠勝の没後、この茶入を遺品として慶安四年(1651)幕府に献上した。
その後、信州上田城主松平伊賀守の所持となり、幕藩体制崩壊後、資金難に陥った大正二年(1913)、松平家は売立てに出し、実業家であり、茶人としても有名な益田英作(紅艶・益田鈍翁の弟)が落札した。現在は五島美術館が所蔵している。
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明和3年(1776)不動院から芸備(広島藩・福山藩)の修験者(山伏)に配布している山伏焼印札に関する通達状
大名物 安国寺肩衝
:元和年中(1615-1624)頃より藩主の祈念のため不動院住職は修験道の聖地である大和の大峯山にに毎年参詣していた。また、同時期より芸備の修験者の役所もつとめ、各修験寺院に法度・覚を発布した。
令和7年 5月 2日日更新
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